2010年02月24日
バイオマスを使用する際に考えること・・・難しさ
地域に存在している身近な資源をどのように活用していくか?
人をどのように関わりあわせつなげ、生活と密着して雇用を創出していくか?
グローバル化により振り回される日本の社会と疲弊していく地域、
食料やエネルギーの安全保障などなど・・・
今後、本気で考えなければならない課題ではないでしょうか。
温室効果ガスの時もそうですが、二酸化炭素のカーボンオフセットということで、
バイオディーゼルの原料を栽培するために原生の熱帯雨林を伐採して耕作地にするという本末転倒なことが実際に起こっています。
地球環境の問題を考えるとき、いちばんに実感させられることが「地球そのものの制約」ということです。グローバル化だと騒ぎ、石油を使いまくって自由になった気になっていますが、
本質的な問題は、その制約、地球のルールというものを無視した結果、この自然のシステムも、経済もバランスがとれない状況になっているのではないでしょうか?
過去に、二酸化炭素の吸収が他の植物よりも多いという理由で、外来の植物が有効だ!という話がありました。
竹は成長が早く本来厄介者です。しかしこれも二酸化炭素の固定の効果が高いことと、炭や繊維としての価値があるということで竹のプランテーションを作ったらどうだ?という話もあります。昔の人が自分の地域で使える自然を資源として利用しているという発想は良さそうですが、
自然のシステムをどちらも無視した発想のように思ってしまいます。
冒頭に書いたように、身近な資源をどのように活用していくか?
そしてそれらを有効に使い地域で回し雇用をつくり人もモノもお金も循環させていくか?
多面的、様々な視点を(人間の視点だけでなく)取り入れていくことが大切で
一面的な捉え、答えがだせないところに難しさがあるように思います。
投稿者 サイト管理人 : 11:47
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年02月22日
地産地消について考える。
地産地消とは?
その土地でできたものを、その土地の中で消費し、その土地の中でサイクルさせていく。
という意味の言葉だと理解しています。
最近(とは言ってもかなり前ですが)、色々なところで地産地消という言葉を聞きます。
しかし現在、この地産地消を純粋に計ることってできないのでは?と思います。
なぜなら、
その生産されるものに対して、使われるエネルギーや資源は純粋にその土地のものではない。からです。
石油はもちろん、材料も外から持って来ている状況を果たして地産地消と呼ぶべきか?と・・・
むしろ、純粋にその土地のものだけで作られているもので生産されたという意味よりも、
最終的に組み立てたり刈り取ったりした場所と消費された場所について語られる方がシックリくるのかもしれません。
ある企業は、「消費地生産」というものを揚げているらしいです。
内需は国内、外需は海外と分担して生産するというもの。
それぞれの土地のニーズに合わせた製品を生産していけるというメリットがあり、素早く対応できるということのようです。
栃木県で名物の「とちおとめ」を「地産地消の日」にキャノンの工場で販売をしたそうですが、
生産に対する知識があるわけではないので、語る資格はないと思いますが、冬に温室を作り、肥料なども外から持ち込んでいるものを「地産地消」を掲げていることに、私は違和感を感じたりします。このようにこの言葉はプロセスではなく、表面的な部分だけを表現している言葉なのかもしれません。
もっと効果的に「地産地消」を押し出すのであれば、エネルギーや肥料などを地域で賄える仕組みを作れば完璧なのに・・・と思います。
「とちおとめ」の場合、外に出す数が多いので「地消」ということにはならないかと思いますが、温室の燃料費を地域の森林を管理しながら、そのバイオマスをペレットなどにし、
肥料も雑木林から落ち葉を集め腐葉土として使用したりすることによって、自然を保全しながらの循環した仕組みが生まれます。現時点では石油依存型の仕組みの状況なので、採算はとれませんが、石油が高騰する状況になった場合、決して非現実的な話ではないと思います。
雇用も生まれ、付加価値も生まれ、地域の生物多様性も高められる・・・
地産地消は石油製品を使った場合、成立しないことばではないか?
というのが今の私の考えです。
投稿者 サイト管理人 : 17:47
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年02月18日
バンクーバーオリンピック会場の細部に見る文化(?)
バンクーバーオリンピックが始まった・・・と思いきやもう中盤にさしかかってしまっているのでしょうか?
連日、その白熱した模様がテレビで放送されています。
ビックリするのは会場の凄さ!
大きな屋内競技場(たしかスピードスケートの会場?)屋根の構造が木造になっているように見えます。
私の勝手な印象ですが、北国?・・・北欧などもそうですが、建物の部材を木材を使用している印象があります。
スウェーデンの片田舎の市民のスポーツセンターのような建物は大きなスパンをとばす時も、集成材を使い梁をつくり大空間を作っていました。今回のスケートの会場では細かい木組みでお椀のようなドームを作っているようでした。
いずれもその地域で育った木を使っているのでしょう・・・か?
そうした技術や知恵は、その地域の気候や風土の中を生き抜くために生み出されたものです。
地域の風土や環境などによって文化が生まれるのだと思います。
オリンピックはその国の文化を世界に見せるという場でもあります。
バンクーバーの都市をテレビでみることができた。とても住み易そうな印象。
あくまで上辺しかみれないですが、さわやかさを感じました。
もし、東京でオリンピックがまた開催されることになっていたら?と考えると・・・
日本は何を世界に対してみせるのか?
世界中から輸入し、世界から集めた材料で会場をつくることになります(リサイクルをメインに打ち出していましたが)。
日本で生み出されたものといえば、サブカルチャーやアンダーグランドから出てきたもの、それと過去の文化(昭和前期以前、現在のカタチと昔の文化が断絶しているようにも思われ、日本的な「美」というものがどこにあるのか?よく分からない状況のように思います)。
そして「技術」(何かあればすぐにこの言葉、いつか使えなくなってしまうのでは?・・・(汗))
「エコ」ということで、これからの都市のあり方を打ち出そうとしていましたが、
今の日本の状況では、少しそのコンセプトもズレている気がします。
まぁ〜とにかくオリンピック、そしてパラリンピックの選手のみなさんには精一杯自分の力を出し切ってほしい!と思います。
投稿者 サイト管理人 : 09:08
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年02月11日
自転車が壊れて気がついたこと
最近、自転車が流行っていると何処かで聞きました(多分、テレビで・・・)
エコや、健康志向の影響なのか、それとも一部で騒いでいるのか分かりませんが、
とにかく乗る人が増えているというのです。
この際だから、流行として終わらせるのではなく、定着させて更にもっと手軽に使用できるような仕組みを考えれば、無駄なエネルギーを使わずに移動ができたり、暮らし易い街ができたりするのでは?ということを前にここで書いた気がします。
それで、その「仕組み」ということで気がついてしまったことがあります。
私の自転車が壊れてしまいました。
後ろのタイヤのスポークが2本も折れていました・・・
まず思ったことが「あ〜ぁ〜これも寿命かな・・・」です。
悲しいかな自分も使い捨てる思考の持ち主になっていたのです。
それでもモッタイナイし、何年も使っているものだから愛着もあります。
そこでスポークは取り替えることができるってのを調べて、
某大手ショッピングセンターの自転車コーナーにスポークの部品がないか見ましたがありません・・・修理の料金表がありましたが、その中にスポーク折れ修理の項目はない・・・
その時、昔、よく自転車の修理をしてもらった町の自転車屋のおじさんの顔が目に浮かびました!便利になったとよく言っているけど、本当にそうなんだろうか?と・・・
自分が住んでいる田舎でも、こうした大型のショッピングセンターやフランチャイズ店ができて、昔からあった地元密着型の商店等が姿を消した・・・
ある程度のものはそろっているけど、それ以上のニーズには対応できていないし、その専門的な知識も技術もないのではないか?と・・・
そしてそのスポーク1、2本取り替える時間と労力を考えたら、1〜2万で新しい自転車が安く買える・・・
顧客志向というけれど、結果、大型店は自分たちが1番儲かるような仕組みになっているのではないかッッ!と気づいてしまいました。
これはあくまで自転車屋の話ですが、日本社会の状況であり、産業の空洞化、技術の衰退の縮図でもあると感じたワケです。
このままでいいのでしょうか?
そして本当に私たちの生活は便利になったのでしょうか?
もう一度、考えたいと思います。
投稿者 サイト管理人 : 06:27
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年02月03日
日本の森林を活かす!を考えるーーペレットの場合
日本は、国土の面積の67%が森林だと言われています。
しかし私たちが普段生活している中では、この森の多さを意識することはなく、
逆に、開発により伐採され、減っているイメージの方が強いのではないでしょうか?
現在の日本で問題となっているのは、森林が減っているということよりも、
どのように森林を持続的に活用していくか?ということだと思います。
よく目にするスギ林はかつて行なわれた植林政策によって使う筈のものが、
使われないで現在の荒廃した姿になってしまっている。
木を植えても生活の中で使う手だてを考えなければ、結局、管理すらできないで放置されてしまう状況なのです。
日本は使われないで眠っている資源が沢山あるのだと思います!
利用の手だては燃料として地産地消です。
燃料の高騰はあまり騒がれなくなりましたが、地味にジワジワと上がっている感じです。
このまま石油に依存していてよいのでしょうか?
人の手がつけられていない天然の森は保護しながら、いったん手の入った人工林を燃料資源として地域の中で活用する仕組みを考えるのが現実的だと思います。(ここでいう人工林はスギ林だけでなく、雑木も含めます)
とは言ったものの・・・どうすれば?
例えば地域の人工林からペレットを作ったとすると・・・
1シーズンに使うペレットの量が1.5トンだとすると、
木一本あたりどのくらいの量のペレットがとれるか?
よく分からないので、木の重さをのままをペレットの量とします。
種類によっても異なると思いますが、特に限定しません。
体積から
一本あたり20m×0.03㎡として材積を求め、それにスギの比重を0.4キログラムとして、それをかけることにします。
0.6立方メートルだから600リットルとなり、比重0.4キログラムをかけると・・・
およそ240キログラムということになります。
簡単にするのに250キログラムとしましょう!
1シーズンに1世帯が必要とする量を1.5トンとすると、およそ6本の木が必要ということになります。(あくまでスギ林ですが)
人口10万人の地域を支えるにはどのくらいの人工林が必要なのでしょうか?
10万人を4人を一世帯とすると2万5千世帯でペレットの量が約3万8千トンのペレットが必要になる。
1世帯あたり6本必要だとすると、15万本のスギ(ここではスギに限定)となります。
奥多摩では1ヘクタールあたり3000本を植えているそうなので、そのように設定すると、
50ヘクタールの人工林が必要ということになります。
それを持続可能な形で行なうとすれば、20年間を1サイクルと考えて伐採、植樹、管理という流れでそれぞれの場所を循環させます。
そうすると1000ヘクタールが必要ということになります。
那須塩原市の場合、
市の面積が59282ヘクタール
森林の面積がよく分からないのですが、
林野面積の総数が38669ヘクタールそのうち民有林で私有林が11469ヘクタール
私有林の1/10の面積があれば賄えることになります。
県営林が1760ヘクタールだから、そこそこ賄える(山奥だったら大変だけど)
また、地目別面積で山林となっている面積では8853ヘクタールとなっており
数字上では決して絵に描いた餅ではない・・・ハズですが・・・
理想としては、ただ単に燃料資源として木を見るのではなく、
人々が生活の中に自然との関わりを持つ方法としてできないか?と思っています。
ひと家族、毎年6本の木を植え、その木を家族が管理し、燃料として使っていく・・・
自然と生活が密接につながっていく・・・
燃料を石油に依存することなく、地域の資源を活用し、保全し、
地域の自然に関心を持つことができ、自分の住んでいる場所に対する認識や、感性を持つことを取り戻せるのではないか?
そうしたつながりを持ち、感性を持つことで、心も豊になれるのでは?と思うのでした。
投稿者 サイト管理人 : 17:45
| コメント (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年01月26日
IPCCの報告書の誤りについて思うこと・・・
日本経済新聞の25日の記事で
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の地球温暖化に関する報告書の内容の誤りがあるという
ものがありました。
以前からこうした類の話は色々なところで言われており、その信憑性については疑問視されてるかと思います。
個人的に私は、このところの異常に加熱する温暖化報道にしても、正直違和感を覚えてしまっている状態です。
みんなが同じ方向を向いてしまい、熱くなっている中で、それとは反対の意見を許さないような風潮さえでている危険な状況も無くもない・・・その割には詳しいことは分かっていない。
一体、何が問題なのか?と聞かれると、温暖化すると色々と大変なことになる・・・程度の認識が本音ではないでしょうか?
(氷が溶けるとシロクマが暮らせる場所がなくなる・・・とか、ロクに分かってもいない人間が作ったイメージに乗っかってしまうことほど悲しさものはないのでは?)
温暖化の報告書が誤りにせよ、どちらにしても
これからは地球の限界や制約に目を向ける時代だということは変わりない!
それだけは間違いないと確信しています。
しかし低炭素社会を実現する!と各国で宣言しているのに、
今までの自然をナイガシロにしてきた路線と社会構造を踏襲しながらの持続不可能な「成長戦略」を相変わらず打ち立てていることが、よく分からない。
相変わらず、モノを作りまくって世界中に売りまくることしか聞こえてこない・・・
そうじゃない世界のあり方ってないのか?
そうでなければ世界は成り立たないってこと?(少々、青臭く聞こえるかもしれませんが)
ということは、どう転んでも破滅に向かっているってことでしょうか?
本気で考えなければならないのは「温暖化」ではなく、今の私たちの暮らしが何によって成り立っていて、それが今、どういうことを引き起こしているのか?ということで、
「温暖化」はその現象の一部にすぎず、暮らしを根本で支えているものに気づくことが大切ではないか?そして支えているものと共生する方法を本気で考えていかなければならないのではないか?と思っています。
投稿者 サイト管理人 : 18:02
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2010年01月19日
2010年がはじまり早くも20日
2010年
21世紀が始まり10年が経ち、色んな意味節目の年になる気がします。
世の中の動きがマスマス不安定になって行くようでとても恐ろしいです。
が、人類が進むべき道が問われているとても大切な時期です。
人ごとではなく、一人一人が考えて行動して行かなければならない時なのだと思います。
私は、正直、地球温暖化、とりわけ二酸化炭素を悪者と騒ぎ、煽りたてる報道に対して、何となく釈然としないというか、素直になれない自分を感じています。
問題の原因というか、本質的なところで、人間の行き過ぎた「欲望」をどうにかしなければ、解決の糸口すら見つからないことは一緒なのかもしれませんが、行き過ぎた報道やニュース、プロパガンダは反って本質を分かりずらくさせているようでもあり、また、それでまた、今までの「行き過ぎ欲望」路線を継承させようという意図も見えるところもあり、何とも難しい問題で、素直に御輿を担ぐ気にはなれません。
今年最初の一発目(最近更新はナカナカしていませんが)はそんな気持ちを代弁しているというか、もっと地に足をつけろ!と言ってくれて、現代人は本質的な部分を自分で感じて取り戻すことが大切だ!と言ってくれている本を紹介させて頂こうと思います。
「環境を知るとはどういうことか 流域思考のすすめ」
養老孟司
岸由二
PHP サイセンス・ワールド新書
という本です。
養老孟司さんの考え方は読んでいて、なんかスカッとします。
ウマく言えないのですが共感できる。
自然を体験し経験しながら育つことの重要性。そして現在の我々の育った環境。
人間の頭の中だけで作られた世界で育ってしまったことの危うさと
自然との隔絶した現実。
人間の頭だけ成り立っていた世界が崩壊した時、私たちはどのように自然という複雑なものと向き合って生きて行けばよいのでしょうか?
自然とふれあい、体験し探求し感じ考える機会を持つことが重要だ!と
そして身体的に自分の住んでいる地域をつかむことが、これからの最重要項目なのではないか!と思うのでした。
おすすめです。
投稿者 サイト管理人 : 21:37
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2009年12月17日
エコプロダクツ2009レポート
弊社がエコプロダクツ展を毎年見続けて来て、早くも5年!
毎年、少しずつテーマが変わって来ているような気がします。
私個人が感じた大きな変化は、昨年から目立ってきた「生物多様性」という言葉が
かなり全面に出て来た気がします。
これは来年、日本の名古屋で生物多様性条約締約国会議(COP10)が行なわれるからなのか?
は分かりませんが、CO2(二酸化炭素)削減と同じくらいに会場では目につきました。
今まで、全く考えなかった自然の価値を見直す時期がようやく訪れたのかもしれません。

とりあえず外から看板を一枚
絵をみると、持続可能らしき都市で楽しそうにしている人たちが見えます。

入場口、受付の風景
投稿者 サイト管理人 : 17:20
| コメント (1)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|エコプロダクツ|
2009年12月08日
COP15開催で思うこと
国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が7日から2週間、デンマークのコペンハーゲンで行なわれている。
ニュースなどでは、それぞれの国の思惑があり、足並みがそろってないと言っている。
しかし、近年のこの報道自体が異様にも思える・・・
これだけみんなで「温暖化!」「二酸化炭素!」と騒いでいる状況のなかで、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書のデータを操作したという疑惑まで持ち上がっている・・・!
IPCCの情報が間違っていたとしても、そのこと自体が本当の問題なのだろうか?
と単純に疑問に思ってしまう。
問題を二酸化炭素にすり替えてしまい見えにくくなってしまっているが、もっと本質的なところで、この世界の状況の異様さを感じることの方が大切なのではないか?
気候変動が人為的に起こされた問題なのか?その是非を問うことよりも、
人類自体のあり方、この世界、社会のあり方自体がどうなのか?
「成長」とは一体なんなのか?を問うことが必要なのではないかと思うのでした。
投稿者 サイト管理人 : 06:20
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|環境問題|
2009年11月13日
草地の利用方法?

写真は樹林の中で繁茂しているススキです。
セイタカアワダチソウが競合し、純粋なススキの景観がなくなりつつあるのですが、
こうした景観も草地環境としての文化的利用といえるでしょう!
以前、若手酪農家集団が河川敷の草地を牛のエサとしての利用を目指し、
試行錯誤しているという話をテレビで知ったことをここでも書きました。
現在のように人が自然に対して直接の働きかけが隔絶してしまった社会では、
現場で関わっている人でなければ、その価値がよく分からない。
牛乳も、牛が草を食べたおかげで飲めるけど、そうした裏のことも知らなくても手に入る。
河川敷の草を食べさせるという話は、どんな草でも良いというワケではないらしいのですが、
こうした試みが、自然との関わりが隔絶してしまった状況を変えていくと考えている。
草地ひとつとってみても、その利用価値は見直されつつある。
すこしずつだけれども、その需要も拡大しているようで、
畜産農家の飼料はもちろん、ペット用の飼料や、茅葺き、野菜農家の堆肥など、
今後、人々の環境に対する認識が変わっていけば、さらに需要が拡大することになる。
ということは、
その認識をどう変えていくか?
というのが最大の問題なのかもしれません。
投稿者 サイト管理人 : 21:18
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2009年10月28日
エコタウンとゼロエミッション
自然界には「ゴミ」もしくは「廃棄物」というものがない。
人間は自然界で処理できないものを作ってしまい、要らなくなったものや、
作る過程で出てきた不要物が「ゴミ」や「廃棄物」となりました。
自然の循環の中で処理できる範囲で生活する社会が持続可能な社会であり、
「エコタウン」とは、「エコ」=「生活する場」を人間だけではなく、
あらゆる生物と共に暮らせる場を考えることが、大きな意味でシステムとして、
その処理能力というか機能を上げることは、生物多様性を高めた町づくり、地域づくりじゃないかと思います。
ゼロエミッションとは産業から排出された「廃棄物」をできるだけ再利用できる方法を考え、
自然界の循環へ放置する前に人間の手によって処理し、「ゴミ」や「廃棄物」をださないようにし、もうひとつ別の人間による循環を作ることだと理解しています。
エコタウンを実現するには?
地域の自然力を高める。つまり生物多様性を高め、その循環の処理範囲で生活できる方法を考えて実践していかなければならないこと。
もうひとつ人間による「循環」をつくり再利用をし、最終的には自然の循環へ収まる方向へ持って行く。産業界でもゴミがない。自然界で処理できる範囲のものしかださなくすること。
以上の2つが単純に言ってそうなのではないか?と思いました。
どちらにしても、国まかせ、役人まかせでは実現しそうもありません。
ひとつの企業が頑張ってもダメで、地域的な連携があってはじめて実現するものなのかもしれません。
投稿者 サイト管理人 : 06:39
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|
2009年10月09日
堤防の草を牛のエサに・・・!
NHKの夕方のニュース番組でやっていましたが、
河川の堤防に生える雑草を牛のエサにするという試みが行なわれているらしい。
千葉の市原市の若い畜産農家たちがはじめたらしいのですが、
河川を管理している国なり都道府県は、その管理費を削減することができ、
畜産農家は、安価に無農薬の草を手に入れることができる・・・!
民主党が無駄を削減するとして、様々な事業を見直しカットしています。
が、今までのやり方自体を根本から改めて考え直すこと、事業や業務を行なう側が新しい発想で出来る方法を考えることが求められるのではないか?と思いました。
この話は正に、地域を住民が主体的に考えることで可能なのかもしれません。
我々も地域の隠れた資源を探し出し、有効利用できる方法を考える事で、自分たちの暮らしが多面的に豊かになるかもしれないのです!
これこそ三方良しの話ですよね〜凄いと思います。
しかも応用できそうですね!
ウマく行く事を願っています!
エコグループ市原というNPO法人が行なっているようです。
投稿者 サイト管理人 : 18:40
| コメント (0)
| トラックバック (0)
この記事は、次のテーマ(カテゴリー)に投稿されました。
|ネタ探し・メモ|


我が社の仕事の紹介です。
見てみたい方は↑クリック
してください。
