国内での排出権取引に関しても「二酸化炭素」という一面的なモノ、視点でしか無いことが危険な気がします。投機の対象になるでしょうし、その為に逆に地域の多様性を壊してしまう恐れもあるのです!「温暖化対策」という法律よりも、もっと本質的な問題に対しての解決するための仕組みづくりを助けるようなものを法律としてバックアップしてほしい気がします。
基本的に、地域で作られたものは地域で循環する仕組みを作った方が、雇用も産まれるし、
地域社会がソフトとして充実すれば、行政だの民間だのと言わなくても地域内で助け合っていくことになり、結果として、公共サービスを維持するための負担も減る。無駄に物を作り無駄に買い物をしなくても良くなる。そこでくらす人は、自分たちの地域に対して無関心ではいられなくなるのです。・・・まるで社会主義国家のような話かもしれませんが、
こうした流れと技術開発、イノベーションをミックスさせていけば、本当の意味での民主主義が行なわれるのではないか?と思うのです。
たしかに再生可能エネルギーで発電した電力を買い取り制度にしてもらえれば、バイオマス資源を活用したビジネスモデルは成立するかもしれませんが、結局は、税金による補助が電力会社に支払われるようになる。それっておかしなことじゃないですか?電力会社に払う代わりに国に払うことになっただけじゃないですか?意味あるのかな?そういうことも考えてしまったりします。地域のことは地域で、自分たちの手で作っていく、回していく!そういう覚悟が必要なのかもしれません。
もうひとつ人間による「循環」をつくり再利用をし、最終的には自然の循環へ収まる方向へ持って行く。産業界でもゴミがない。自然界で処理できる範囲のものしかださなくすること。
国土交通省が24日に、自転車の貸し出しシステムや専用道路、駐輪場といったネットワーク構築に向けて先進的に取り組む自治体を「自転車重点都市」として認定する制度の創設を決めた。
しかし、いつの間にか自然をコントロールできると勘違いするようになっていたような気がします。少なくとも、私が物心ついた時の感覚では、なんとなくそんな感覚があったように思います。
こうしたことが起こると、まず、
山をガチガチにコンクリートなどで固めて崩れないようにする。
これは当たり前のことのようですが、人間の都合による一面的な考え方のようです。
逆に、そうすることによって他で今までバランスがとれていたモノが崩れてしまいます。
もともと自然の営みにとってはこうした土砂崩れなどの撹乱は、多様な環境を維持して行く上では必要なものだからです。
その中で人間が暮らして行くためには、極力バランスを崩すことなく、自分たちが生活する環境と、手つかずの自然との緩衝地帯を使わせてもらって、バランスをとるために人工的な撹乱などを起したりしていかなければなりません。
それが管理することであり、自然との共生の方法なのだと思います。
昔はその人工的な撹乱の行為が、農作物や燃料を得るためのサイクルと合わせて行うことが出来ていました。
これからそうした行為を、どのように行い生活の中にとりこんで行くか?
それが課題なのではないでしょうか?
新聞の記事では、無機起源説であれば地球内部で石油は現在も作られているので、枯渇の心配はないと書いてあるが、地球誕生時に送り込まれた炭素化合物がどのくらいあるのか?決して無尽蔵なものではないのでしょう?
問題なのは、極力、我々の豊かな生活形態を維持しながら、資源を有効に効率よく使っていく方法を考えることになるわけですが、その資源を生み出している物は何か?とか、気づく必要のあるものが沢山あると思います。結局は我々が気づいて、考え方を変えていかないと、制度だけ変えても根本が変わらない状態になってしまう気がします。