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2005年10月17日
キンデルダイクの風車からもらったモノ

少し前にテレビでオランダの風車について放送していた。
NHKの「世界遺産の旅」という番組だ。
風車といえば、今や、クリーンエネルギーの代名詞でしょ?
しかし、わたしはそれだけには留まらない風車の奥深さみたいなものを感じてしまった。
キンデルダイクの風車・・・・・
ポンプとしての機械といってもいいし、
人々の暮らしを支え環境にとって重要な意味を持っているのだから、建築といってもいい。
その機能と用途を満たした姿、形、そして群をなす配置、どれをとっても非の打ち所が無いほど美しいと感じ、
そして、感動した。
自らの羽の向きや、羽の形を、風の状況、天候によって変える姿は、正に、環境創造マシーンといえる。
風車が無ければ、キンデルダイクのあの風景は全然違ったものなのだ。
そう考えると
なぜ、感動した?という答えがダンダン見えてきた。
そこでしか生まれないモノ、カタチというものがある。
ある環境下で知恵を絞り出された結果、導きだされたカタチは、必然的に機能的でもある。
そのものが、新しい環境をまた作っていくのである。
そうしたプロセス自体に感動したのかもしれない。
考えてみれば、東京という都市自体も、導き出されたカタチではないが、必然的に出来たカタチなのではないだろうか?
今の、東京の姿はベースがあるものの、ほとんど戦後から始まったと言っていい。
高度経済成長から、バブル崩壊、まさか、現在も続いているのではないだろうか?スクラップ&ビルドにより、無作為に何の関連性も協調性もなく、計る定規といえば経済性のみによって建てられた建物群は、まるで、おもちゃ箱をひっくり返したかのような感じで、建築家の磯崎新氏の言葉を借りれば、「歴史も何もかもが積み重なった、積層都市 」というのがぴったり当てはまる気がした。(特に、東京駅の新幹線のホームあたりだと、それを視覚的にも立体的にも、歴史的にも体験することが出来ると自分は思う)
これが、経済を追求していった、今までの日本人の都市のカタチなのだ。(極論ですが・・・・)
今は知りませんが、かつて東京は未来都市と言われたように、すごい風景?を作り出したと思う。
しかし、このプロセス自体にキンデルダイクのような感動はない。
それは、先にも書いたように、何の協調性もなく、己の利益を、それぞれが求める姿勢が、キンデルダイクとは正反対に感じるからだろうと思う。
「エコロジストでいこう」のショトウさんの「風車の広告は、美しいですか?醜いですか?」 という記事では、「街の景観」について書かれている。
この記事は、シュトウさんの上の記事に触発されて書いているが、広告にも、キンデルダイク型と東京型がある気がする。つまり、少しきれい事のように聞こえてしまっているだろうが、一丸となって一つの方向性に向かっているように見えるモノと、あらゆる方向に行っているようなモノ?そんな感じがする。
東京型はある意味で無秩序、そこには個の利益の為のメッセージしか存在しない。ある意味で美しく、ある意味で醜い。キンデルダイク型は一つのメッセージしかそこには存在しない。これもある意味で美しく、ある意味で醜いとは言わないまでも場合によっては物足りない。
ここでの風車の広告は、キンデルダイク型のようなものであれば、美しいのではないだろうか?と思えた。
しかし、広告の存在自体が、利益を求める行為なワケで・・・・(あ〜また、ワケが分からなくなっってキタ?)
要するに、環境と経済は共存できるのか?という話になってしまう。
つまるところ、東京も、広告も、次のステージへその在り方が移って行っているのだ!と感じた。
その在り方とは?
私は、キンデルダイクの風車から、何となくヒントを漠然ともらったように感じた。
関連ページ
NHK世界遺産の旅[オランダ・キンデルダイクの風車群]
トラベル&ライフ「キンデルダイク〜エルスハウトの風車群」
投稿者 サイト管理人 : 2005年10月17日 23:22
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